三国志の十大「逆臣」:許攸は2位、1位になれるのは誰か?

三. 司馬懿
司馬懿の裏切りは、最高レベルで、最も忍耐強く、そして最も組織的だった。それは単なる信頼の事例ではなく、封建制度の礎である「君臣の倫理」を裏切ったのである。
戦場での裏切りとは異なり、司馬懿の裏切りは絶対的な忠誠という装いで行われた。彼は若き皇帝曹丕と曹叡の命を受け、若き君主を補佐し国家を護る最高権力を与えられた。しかし、彼はこの権力を利用して曹家の統治基盤を徐々に蝕んでいった。高平墓の変において、政敵である曹爽を排除しただけでなく、曹魏の最高権力を事実上奪取し、皇帝を傀儡と化した。
司馬懿の裏切りと曹丕による漢王朝の簒奪の根本的な違いは、曹魏の統治が曹操によって真に獲得されたのは、漢王朝が既に滅亡し、混乱の時代であった点にある。一方、司馬家が魏を簒奪した当時、曹魏は絶頂期にあり、統一を目前にしていた。彼らの統治は、輝かしい軍事的功績ではなく、狡猾さと策略によって掌握されたのである。まさにこれが、後世の人々が司馬一族を特に軽蔑する理由である。
司馬懿の行動は、後世の有力臣たちが権力を簒奪する上での「標準的な手順」を完璧に示していた。忍耐し、力を蓄え、機会を捉え、そしてクーデターを起こすのだ。彼の裏切りは、彼の生死をはるかに超える衝撃を与え、その後数世紀にわたる歴史の流れを直接書き換えた(混乱の続く晋朝と南北朝の到来を招いた)。したがって、彼が第三の裏切り者として挙げられるのは、彼の行動が当時最も血なまぐさいものだったからではなく、その裏切りの「質」が最も高かったからである。それは権力移行のルールを根底から揺るがし、その毒が最も広範囲に及んだからである。
Advertisement