三国志の十大「逆臣」:許攸は2位、1位になれるのは誰か?

四. 賈詡
賈詡のあらゆる選択は、冷徹で緻密な数学的計算のようだった。自身と家族の生存こそが唯一の公理であり、伝統的な道徳や皇帝の寵愛は、もはや変数とはならなかった。
彼の「毒」は、その破壊的な戦略に初めて現れた。李傕と郭汜は元々散漫な勢力だったが、「長安で涼州の民を皆殺しにする話があると聞いた」という彼の発言は、長安への大規模な反撃を引き起こし、漢王朝の権威を揺るがし、帝国を更なる混乱に陥れた。この計画は自己保存のみを目的とし、それがもたらす悲惨な結末を全く考慮していなかった。張秀に仕えていた頃、彼は巧妙な策を考案し、曹操を危うく死に至らしめ、息子と将軍たちを失わせた。しかし、官渡の戦いの前夜、賈詡は瞬く間に張秀に宿敵への降伏を冷静に進言した。それが当時の最善の策だったからだ。
賈詡の裏切りや戦略的な助言は、決して個人的な感情に駆られたものではなかった。彼は人間の弱さと政治の法則を深く理解していた。張秀を曹操に降伏させた理由は、極めて現実的なものだった。曹操は覇権の野望を抱き、天下を握るためには寛容さを示す必要があった。一方、袁紹には旧敵を許容するだけの度量さえ欠けていた。結果的に、彼の計算は完全に正しかった。曹操に降伏した後、彼は「非元官」という自身の立場を熟知し、時機を伺い、賢明に身を守り、最終的には権力の移行期に再び正しい賭けに出て、官僚の最高位にまで上り詰め、安らかに息を引き取った。
賈詡は生存主義の達人だった。彼の「裏切り」は一時的な衝動ではなく、混沌とした世界の生存ルールを極限まで実行した一貫した哲学だった。彼は忠誠や裏切りといったレッテルを気にせず、計算された結果だけを求めた。彼の「安らかな死」は、まさに「礼楽が崩壊した」時代の冷徹な批評と言えるだろう。混沌とした世界においては、極限の合理性と冷酷さこそが、純粋な力や忠誠心よりも効果的に人の生存を確かなものにすることができるのだ。
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