奸雄!曹操が過って殺してしまった数々の有名人を振り返る!中にはただ一言間違えただけの人もいる

【第3位、孔融:直言敢諫の名士が權欲に塗れた曹操に滅ぼされる】​

建安七子の一人で、幼い頃からあふれる才能を持っていた

kl1

孔融は孔子の 20 代孫で、「建安七子」の一人。才気があり、直言敢諫(率直に意見を述べ、君主の過ちを諌める)の名士として名高かった。当時の風潮を批判し、正義感にあふれた言動で人々から尊敬されていた。曹操が権力を握るようになると、孔融は曹操の専横や野望を度々批判した。​

思ったことをすぐに口にすることが招く死の災い、三国の職場のルール

kl2

曹操が袁紹を打ち破った後、冀州を占領し、袁紹の子供たちの妻を捕らえた。曹操の長男・曹丕は袁熙の妻・甄氏を娶り、曹操はこれを黙認した。孔融はこれを批判し、「昔の武王は紂の寵姫・妲己を周公に与えた」と皮肉を込めて書簡を送った。曹操はこの話が史実にないことを知らず、尋ねると孔融は「今の状況から推測しただけだ」と答え、曹操を侮辱した。さらに、曹操が酒を禁止した際、孔融は「酒は聖賢を養うもので、禁止すべきではない」と反対論を展開し、曹操の政策を公然と批判した。曹操は孔融の直言が自分の権力を脅かすと感じ、長年の怨恨を晴らすため、「不忠不孝」の罪を羅織して孔融を逮捕した。最終的に孔融は棄市(公開処刑)に処せられ、その家族までも誅滅された。この事件は、曹操が反対する者を容赦しない姿を物語っている。​